彩風咲奈 雪組

彩風咲奈さま、感謝の思いを込めて




こんにちは!

あおてんです●´∀`)ノ♪

 

久しぶりの投稿です。

雪組トップスター彩風咲奈さんの退団が発表されました。

大きなフラグが立っていたので、覚悟は出来ていました。
でも覚悟と現実を受け止めることはやっぱり違います。
わかっていても寂しいし、悲しい。
いつかは来るこの日を出来ればたくさんの楽しかった思い出と
美しいお姿と温かい大きな心でいつも組子や、
ファンを包んでくれたあなたを精一杯の感謝で最後まで応援したいと思います。

 

咲ちゃんは生粋の雪っ子で、
昔は本当にぽっちゃりした可愛い笑顔と八重歯が印象的な少年のような男役さんでした。
年数を重ねるごとに素晴らしい身体能力と恵まれたスタイルを存分に活かし目を引く存在となりました。
水さんの血を引き、
ちぎちゃんの退団公演の絆の場面では
ちぎさんと同じ歌詞を歌う方が出来て嬉しいと大粒の涙をポロポロと流し、
のぞ様からは大階段で青い薔薇と共に大きな羽根を受け継ぎ、
雪組を背負って立つ立派なトップさんへと駆け上りました。

 

でもその期間は胸が痛くなるような出来事もいっぱいあって
辛い思いもたくさんされたと思いますが組子を守り、
いつもファンの気持ちを気遣って下さり、
飾りのない真っ直ぐな思いを舞台から私たちに送ってくれました。
雪組をいつも見守って応援して来た私には感謝の思いしかありません。

 

皆さんもよくご存知の『赤毛のアン』という小説がありますが、
作者のモンゴメリの記事を読んで
雪組の今の作品『ボイルド・ドイル・オンザ・トイルトレイル』で
咲ちゃん演じるドイル氏と咲ちゃん本人との共通点があるなぁと感じ、
皆さんにも知ってほしいと思い、ここに紹介させて頂きます。
あくまでも私個人の感想ですのでご理解下さい。

 

ここからは記事の抜粋です。長いのでもし興味がある方に読んで頂けたら嬉しいです。

モンゴメリは2歳を前に母と死別。その後、父の仕事の関係で祖父母の一家に預けられた。これが彼女の運命を大きく開いていくことに。文筆に長じた祖父、詩人の大叔父、物語や青春の思い出を上手に語る大叔母たちに接し、作家になる夢を育んでいった。

幼少から文字の読み方を習い、読書にも励んだ彼女は9歳で詩作を開始する。後年、「いつから作品を書き始めたのか」との問いに「文章を書いていなかったときを思い出すことができない」「『書くこと』それがわたしの大目的だったのです」と述べたように、幼い頃から才能に目覚め、筆を執り続けた。

やがて作品を新聞社や雑誌社に送り始めるが、なかなか掲載には至らない。物語の執筆にも取り組む中、幾つかの詩や散文が新聞に載ることはあっても、原稿が返送される日々が長く続いた。
当時の日記には、こうつづられている。「いまは出発点、これからも書きつづけよう」と。
作家の道を歩む一方で、モンゴメリは進学して教員資格を取得。教壇に立ちつつ、たくさんの作品を投稿した。

苦しみ抜いて書き上げた詩や物語が認められない悔しさ。あふれる涙を拭い、彼女は「どんなに失望してもけっしてあきらめない」と何度も心に誓った。そして「いつか目的を達することができる」と自分を信じ、黙々と書き続けるうち、徐々に作品が採用され、原稿料が入るようになっていく。

働きながら作家として活動する苦労は想像に難くない。事実、机に向かえないほどの疲労に襲われた日もあったという。それでもモンゴメリは、早起きして出勤前の時間を執筆にあてた。冬には、かじかむ手で懸命にペンをふるい続けた。

彼女の作品からは、その不屈の魂を見て取ることができる。
「のぼることがきみの使命なら、のぼらなくてはならない。世の中には高い丘へ目を向けなければならない人がいるものだ」「続けるんだ。のぼるんだ!」

20代半ばになり、モンゴメリは何とかペン1本で生活できるようになった。出版社に送った原稿10編のうち9編が突き返されるといった現実もあったが、文壇の道で地位を確立するため、寸暇を惜しんで執筆に挑んだ。

「勝ちとることがむずかしければむずかしいほど、勝利はいっそう甘味であり、永久だと、わたしは心から信じている」と――。
新聞社勤務を経て、1902年に故郷に戻ると文筆活動に没頭。長年の願望だった長編小説に取りかかる。そして、連載小説などの執筆の合間を縫い、約1年半かけて完成させたのが『赤毛のアン』であった。

プリンス・エドワード島を舞台に、孤児院から引き取られた少女アンの成長を描き、世界中で愛される同小説。だが原稿は当初、どこからも採用されなかった。売り込んだ5社のうち1社からは“この作品を出版する十分な理由が見いだせない”との批評が。モンゴメリは深く落ち込み、原稿が目に触れないよう古い帽子箱にしまった。

それから2年ほどたったある冬の日、捜し物をしていた彼女は偶然、『赤毛のアン』の原稿を手に取る。読み返すと内容に手応えを感じ、もう一度、新たな出版社に送った。その結果、ついに採用が決定。完成から3年後の08年、念願だった発刊が実現し、瞬く間に大人気小説に。一躍、ベストセラー作家の仲間入りを果たす。

モンゴメリは自叙伝『険しい道』の最終章に、こう記した。

「長い長い労苦と努力の末、わたしはついに『険しい道』を登りつめたのです。それはたやすい登攀ではありませんでした。しかし一番苦しい闘いの最中といえども、高峰を踏破しようとする者にだけ体験できるよろこびと痛快な瞬間があるのです」

明年はモンゴメリの生誕から150年。

「わたしと同じように、うんざりするような人生という道程を、苦しみながらいまもなお歩きつづけている人びとを励ますことができるかもしれない。わたしもその苦しい道程を歩きぬいて、今日のわたしがあるのだから」――彼女が残した言葉の通り、『赤毛のアン』シリーズをはじめとする名作の数々は、世代や時代を超えて、世界中の人々の心に希望の灯をともし続ける。

〈モンゴメリ〉
小さな障害は、笑いの種だと思い、
大きな障害は、勝利の前兆だと
考えられるようになったの。
咲ちゃんのご卒業までの公演がこれ以上中止にならず、
最後まで楽しく思い残す事のない舞台となることを心より願っています。
そしてこれからの咲ちゃんの人生が幸せに満ち溢れ輝かしいものとなりますように。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

ではまた〜(๑ت๑)ノ

 

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